個人投資家の限界は

株式投資と激務で1億円まで増やした投資家の雑記

「やりたくない」と言うこと

個人投資家です。

幼少期から「やりたくない」が口癖でした。

それは社会人になってからも変化せず。

興味がないことや、理に適ってないことを

行うことが理解できない人間です。

やりたくない遍歴 

中高生の頃

部活は「やりたくない」

興味のない授業は「受けたくない」

体育祭は「参加しない」

文化祭も「参加しない」

そもそも学校には途中参加という形態にして

勝手に好きなことをやっていました。

 

大学生の頃

教授の本と被っている授業は「出ない」

飲み会には「行かない」

サークルには「入らない」

といった程度で非常に生きやすい期間でした。

 

社会人

寮には「住まない」

飲み会には「行かない」

同僚の結婚式には「参加しない」

上司の命令は「聞かない」

自分の給料以上の仕事は「やらない」

人生で一番、やりたくないことをやらされる

残念な環境です。

 

なぜやってしまうか?

幼少期から続いてきた

「やりたくない」街道でしたが、

 

学生の頃は「やりたくない」

と教師や先輩に言うと

顔を真っ赤にして、胸ぐらを掴んでくる。

 

パワハラという概念がないのか

普通によく殴られていた。

 

現在、上司に「やりたくない」と言うと

クソ怒られたり、

雑用を投げられたりする。

その雑用を「やりたくない」とシカトすると

また顔を真っ赤にして暴れ出す。

無限ループに入っている。

 

こんなことを続けていると

面倒になってくるのだ。

 

「やりたくないこと」を嫌でも、

諦めてやったほうが良いのではないか?

と考えるようになってしまう。

 

あるイベントに参加する面倒さや嫌悪感よりも

説教や悪口への同様の感情が

上回っているのだ。

 

こうなると、言うことを大人しく

「聞いたほうが楽だな」

と体に染み込んでしまう。

こうなったら最後。

非人道的で不合理な仕事も受け入れてしまう。

人間として終わりだ。

 

学生と社会人

学生の頃は自分のような人間も

ある程度はいた。

所謂、反抗期ってやつだ。

嫌なことに「やりたくない」と言う

とにかく反抗しまくる。

それはたとえ、学校でクソミソになろうとも

所詮、学生。親が責任をとってくれる。

 

社会人になるとそれを嫌う人が

多いかもしれないが、所詮同じ。

22年も生きてれば、

家に泊めてくれる人くらいいるだろうし、

バイトで生活するくらい余裕だ。

 

社会人だからといって

「やりたくない」を言ってはいけない

空気を醸し出すのは勘弁してほしい。

 

ある程度、会社への経済的依存が減ってきたら

「やりたくない」と言いやすくなる。

実際、言っても社内の人間に

嫌われるくらいだ。

やり続ければ、怒るのもやめて

諦めに入ってくる。

 

是非、みなさんも「やりたくない」と

かましてみてください。

責任は取りませんけどね。

それでは。